どうも、うちみる旦那の田村余一です。
気づけばすっかり年が明けてしまいましたが、昨年11月のフォーラムではたくさんの人たちがお越し下さり、賑やかで嬉しい一日となりました☆
と同時に、様々な念が残る一日でもありました。
念が残る、そういう意味での今回の表題です。
当日の模様は嫁さんがまとめてくれた記事「【イベントレポ】うちみるフォーラム2018」をご参照ください。
当日の私はというと、準備にも運営にもバタバタで、参加者の皆さまとゆっくりお話もできず、ヌカ釜実演、ロケットストーブWS(ワークショップ)、塩づくりWSなどなど、オシッコもする暇もなく動き回っておりました。
来年はもっとシンプルなイベントにします。(反省)
催し物よりも、コミュニケーションを大事にしたい。
今回の11月開催は、嫁さんの出産との兼ね合いで前回よりも1ヶ月遅らせたのですが、11月ともなると陽も短く、気温も低い… この日は晴天でよかった^^;
(雨だったら地獄でしたね、運が良かった)
第3回目となる今年は10月を予定しています。
そんな反省をしつつも、無事終了した安堵感に包まれながら、会場のうちみるの後片付けを粛々と。
当日は誰が言い出すこともなく、イベント参加者がみんなでゴミ拾いや後片付けをしてくれて大助かりでした。感謝m(_ _)m!
その場にいるみんなが協力しあってお片づけをする、その光景を思い出しながらうちみる敷地内を歩く。
ふと何気にコンポスト(堆肥)エリアを見てみた。
たくさんの食べ残しを見つけてしまった。
まだ半分以上食べれるバナナ。
まだ食べれるお肉がいっぱい付いてる鶏の骨。
2〜3口食べただけのサツマイモ。
羽釜で炊いたご飯。
実際、手にとって確認したけど腐っている様子はなかったので、食べ飽きたか、味が好みじゃなかったとかの理由で捨てられたものでしょう。
勿体無いなぁ…
これらの食べ物を持って来てくれた人、調理をしてくれた人、作って育ててくれた人が見たらどう思うんだろう。
なんだか悲しい気持ちになってしまったのでした。
今の世の中で当たり前のように行われている食べ物の廃棄(フードロス)。
全世界の食べ物の3分の1が食べられずに捨てられています。
日本では毎日一人当たり、お茶碗1杯分のフードロスをしているという試算もある。
そんなご時世ではあるけど、持続可能&自給自足を思考するイベント「うちみるフォーラム」ではフードロスをゼロにしたかったなぁ(ToT)
有機物を分解していずれは土に還す、うちみるのコンポスト。
生ゴミとして、自治体指定のゴミ袋に入れて捨てるよりははるかに環境に低負荷で有意義なシステムではあるけど、食べ物を粗末にしてガンガン放り込めばいいって思ってほしくないぞ〜…orz
当日はお子さんもたくさん来ていたので、ひょっとしたら子供たちが縦横無尽に遊びながらツマミ食いした、その食べ残しかもしれない。
だけど子供だったら食べ物を粗末にしてもいいのでしょうか。
おうち以外のイベント会場だったらいいのでしょうか。
タダで貰ったものだったらいいのでしょうか。
それを周りの大人が見過ごしていいのでしょうか。
ごはん茶碗に米一粒残せばジイさんに叱られた僕としては、このコンポストの状態はびっくりするものでした。
もしこれがオトナの食べ残しだとしたら、間違いなくそれを見た子供も、場合によってはオトナも同じように真似しちゃう。
意図せずして行われる「教育」、「連鎖」です。
社会でうまいこと生きていく処世術や、スマホの使い方、スポーツのルールなどよりも、食べ物の大事さを共有することの方が重要だと思うんです。
なぜなら食べ物というものは、我々の生命維持や健康に直結するものだから。
次に僕はゴミ袋に注目してみた。
40人近く集まってくれた終日イベントにしてはかなり少ないと思う☆
ゴミが出ないに越したことはないですね。
気になったのはコチラ。
「紙コップ」です。
紙コップと言えば、使い捨て容器の代表格みたいなもの。
当日、この紙コップの中には自遊木民族珈琲の諒くんが淹れてくれた美味しいコーヒーが入っていまして、それら全てはGive&Giveという催しの中、無料で振舞われていました。(諒くん、ありがとう!)
当然ながら、中身のコーヒーは飲んだ人の体の中に入っていって、あとはこの紙コップが残る。
さて、この紙コップは誰のもので、誰が処理するべきなんだろう?
ちょっと考えてみよう。
僕はこの意識部分にゴミ問題の全てがあると言っていいと思う。
そして、これに関しては世界で未だに明確な法定義・ルールがない。
ほとんどが個人や自治体など、それぞれの「感覚」に委ねられているのが現状だ。
自分にとって都合の良い部分だけがキープされて、それ以外のもの(ゴミ)はどこに行けばいいのか、よく分からずフワフワしている。
世の中になんとなく漂っている正義は、とにかく散らからないように、ゴミは何かの容器に収納しておき、定期的にゴミ収集車に回収してもらって、焼却なり、埋め立てなりしてもらうこと。
他の関係例を挙げれば…
残されたもの(ゴミや廃棄物などの副産物)と自分を切り離さず、繋いで考えてみてほしい。
そして、どうしていけばいいのかを隣人や家族(特に子供たちと)と話し合ってほしい。
果たして子供たちに教えるべきこと、これから先もずっと続けていくべきことは、
「ゴミはゴミ箱へ入れよう」
「ゴミは指定袋に入れて○曜日に集積所に出そう」
ということでしょうか。
今回の紙コップは、主原料は紙(木)だから燃やせば比較的すんなり灰になってくれるからまだしも、現代ではビニールやプラスティックなどという、何かを購入すればほぼもれなく付いてくる包装・梱包材がある。(日本は特に過剰包装をする国)
それらは腐らず、自然分解されないのに、紫外線などで劣化し続けるうちにどんどん細かくなっていき、我々(っていうか地球上の動物みんな)の体内に侵入している。
=マイクロプラスティック問題
環境問題に関心があろうが無かろうが、すべての人はその環境の中にいるわけで、ゴミと自分を切り離して考えていようがいまいが、もうすでにゴミは自分の体の中にまで入ってきてしまっているわけです。
ゴミという概念がないほど、すんなり自然に還るもので溢れていた大昔と比べ、現代はこの先数十年、数百年先(プルトニウム241となれば2万4,000年先!)まで始末に負えないようなゴミで溢れているわけです。
コレってかなりマズいことだと思いませんか?!
今あるゴミをどうしていけばいいか、また、新たなゴミを増やさないようにするにはどうすればいいか、そんなことを真剣に考えていかなければいけないと思う。
たくさんのモノや電気に彩られた市街地から5~10kmも行けば、山間部や農村部にある産廃/ゴミ処理場や汚水処理場を目にするだろう。
そこでは根本的な解決を見ないまま、自然界に埋め隠されたり、放出されていくだけです。
「臭いものにはフタをする」「河川に放って濃度を薄める」などという、無計画で短絡的なことをこれまでずっと続けてきているわけです。
この現状を少しでも変えていけるよう、うちみるフォーラム、今後もバージョンアップをしながら開催していこうと思います。
そして、それが未来の子どもたちに自信を持って渡せるバトンになれば幸いです^^
火の始末と同様、物事は一貫してちゃんと最後まで見守ることが大事ですね。
でなきゃ気付いた時には大火事になってて全てが焼き尽くされて無くなっちゃうかもしれない。
火というのは条件が揃えば、正直に反応する。
おそらく「ゴミ」と言われるモノたちもそういった性質を持っているはず。
あるとき急に、または知らぬうちにゆっくりと、環境や人に対して反応するんだと思う。
人はウソをついたり、目をそらしたりしてゴマかしたりすることもできるけどね_笑
すっかり遅くなりましたが、フォーラム2018を終えた私なりの考察&決意でございましたm(_ _)m
本年もどうぞよろしくお願いいたします〜!
諏訪連
2021年3月18日
共感です。今後インフレになればモノは高くなり、リサイクルは当り前、福島原発のツケは電気料金へ、水道は外資へ。ウチミルプロジェクトは近未来のライフスタイルモデルとしてかっこよくすがすがしい。まだ、半分都会、半分田舎(伊豆南端鬱蒼とした山側の6件だけの過疎里山農家を借りています)水は沢から取水です。ロケットストーブの断熱と排気と燃焼部分を調整して上手に調理利用しているのをみるのははじめてです。ソーラーパネルの出し入れの発想など試行錯誤をしていたので参考になりました。有り難うございます。
よいち
2021年3月19日
コメントありがとうございます!
最近はブログを全然更新できておりませんが、Youtubeの方でちびちびと投稿してます(*^^*)
より良い未来を作っていきましょう!